東京地方裁判所 平成5年(ワ)15389号 判決 1994年2月28日
原告
株式会社富士銀行
右代表者代表取締役
橋本徹
右訴訟代理人弁護士
海老原元彦
同
廣田壽德
同
半場秀
被告
ニコス生命保険株式会社
右代表者代表取締役
大野和夫
右訴訟代理人弁護士
髙橋孝志
主文
一 被告は、原告から別紙保険証券目録記載の保険証券の交付を受けるのと引換えに、原告に対し、金七八四八万五七六五円及びこれに対する平成五年五月二五日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二〇分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一及び三項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金八二二二万〇六五八円及びこれに対する平成五年五月二五日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、株式会社和光社(和光社)との間で、和光社が被告と締結した生命保険契約(本件保険契約)に基づく保険金請求権及び解約返戻金請求権について、原告の和光社に対する貸金債権(本件貸金)を被担保債権として質権の設定を受けたところ、和光社が無資力になったことから債権者代位により本件保険契約を解約したと主張して、質権に基づいて解約返戻金八二二二万〇六五八円及びこれに対する解約の日の翌日である平成五年五月二五日から支払済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。
一争いのない事実等
1 (当事者)
原告は銀行であり、被告は生命保険会社である。
2 (原告の和光社に対する貸付け)
原告は、平成二年八月八日、和光社に対し、次の約定により金一億〇三八八万六五八〇円を貸し渡した(本件貸付け<書証番号略>)。
返済方法 平成二年一〇月以降、毎月五日限り一二五万四九四八円ずつ(一二〇回払い)
利息 年7.9パーセント
遅延損害金 年一四パーセント
期限の利益喪失約款 債務の一部でも履行を遅滞したときは、原告の請求により一切の債務について期限の利益を失う。
3 (和光社と被告との間の本件保険契約締結)
和光社は、平成二年九月一日、被告との間で、和光社を保険契約者、被告を保険者として、次のとおりの生命保険契約を二口(保険証券番号は(1)二〇―九〇―〇〇一八五一及び(2)二〇―九〇―〇〇一九五四)締結した(<書証番号略>)。
保険の種類 一時払変額保険(終身型)
被保険者 鈴木勇(鈴木)
保険金(給付金) 金九三〇〇万円
死亡保険金受取人 和光社
保険料 金五一九四万三二九〇円
解約条項 和光社は、いつでも生命保険契約を解約することができる。この場合には、被告は和光社に対し、保険約款に従って計算した解約返戻金を支払う。
4 (原告と和光社との間の質権設定)
原告は、平成二年八月八日、和光社との間で本件保険契約に基づいて和光社が被告に対して取得する保険金請求権及び解約返戻金請求権について、右2記載の本件貸金を被担保債権とする質権の設定を受け(本件質権設定契約)、右に際して和光社から保険証券の交付を受けた。これに対し、被告は、平成二年九月一〇日付の確定日付のある証書によって、右質権設定について異議をとどめず承諾をした。
5 (和光社の期限の利益喪失)
和光社は、原告に対して本件貸金について二回にわたり合計金一一二万七〇二一円を返済したのみで、平成二年一二月五日以降返済をしない。そこで原告は、平成五年四月一四日、和光社に対し期限の利益を喪失させる旨の通知をした(<書証番号略>)。右時点での本件貸金の残元本は、金一億〇二七五万九五五九円である。
6 (原告による保険契約の解約)
原告は、被告に対し、和光社に代位して本件保険契約を解約する旨及び質権に基づき解約返戻金の支払を請求する旨の意思表示をなし、右意思表示は平成五年五月二四日被告に到達した(<書証番号略>)。
二争点
1 原告が和光社に代位して本件保険契約の解約の意思表示をした当時、和光社は無資力であったか否か。
(原告の主張)
積極
(被告の主張)
消極
2 原告が本件保険契約の解約権を和光社に代位して行使することが許されるか否か。
(被告の主張)
原告が本件生命保険契約の解約権を和光社に代位して行使することは次の理由から許されず、原告は和光社を相手に被告に対して本件保険契約の解約通知をするように求める訴訟を提起して、右請求を認容した確定判決を被告に送付することにより権利行使をすべきである。
(1) まず、本件保険契約において保険契約者以外の者に解約権を与える規定はないだけではなく、保険契約者の解約権行使に際しては保険証券、保険契約者の署名押印のある解約請求書及び発行後一か月以内の印鑑証明書の提出を要求している。また原告も質権設定に際して解約権は和光社のみが行使できるということを了承している。更に、生命保険契約は遺族の生活保障を目的にしており、その期待権を一切奪う結果となる保険契約者以外の者による解約権の行使は右保険契約の性質上許されず、右の諸事情から、本件における解約権は保障契約者のみに専属すると解すべきである。
(2) 更に、仮に被告が裁判外の解約権代位行使に応じて解約返戻金の支払をした場合、和光社の無資力についての判断を誤れば、後日被告は二重払いの危険にさらされることになるだけでなく、一度運用を止めた変額保険を復元することは非常に困難である。
(原告の反論)
原告が和光社に代位して本件保険契約の解約権を行使することは許され、原告の主張は次の事由から理由がない。
(1) 債権者代位権は債権者が債務者の意思に基づかず又は債務者の自由意思に制限を加えて、債務者の権利を行使できるとするものであるから、債権者に保険契約者とは別個独立の解約権が保険契約において定められている必要がないだけでなく、債権者が代位するに際して、債務者が解約権を行使する場合においてその意思を確認するためのものである保険証券等の書類の提出をする必要もない。
本件保険契約は和光社代表者である鈴木を被保険者、和光社を保険金受取人とするもので、将来和光社の事業活動を経済的に補填する目的はあるものの、鈴木の遺族に対する生活保障又は社会保障の補完的意味合いはほとんどなく、むしろ本件保険は契約時に一括して保険料の支払がなされた変額保険であり、その保険料がすべて原告からの借入れで賄われていることからすると、本件保険契約の締結が専ら投資目的にあったことは明らかである。仮に生活保障的な目的があったとしても他の金融商品も同様なのであるから、そのことのみで一身専属権が認められるものではなく、その他原告が債権質権者として一般債権者以上の重大な利害関係を有していることも考慮すると、本件保険契約の解約権は、原告にもあるといえ、和光社に専属するものという必要はない。
(2) 債権者代位制度における無資力要件は、客観的に債務者が無資力であれば足り、被告にとって債務者の無資力の判断が困難というだけで債権者代位制度の利用そのものが否定されるということにはならない。また、債権者代位の要件を満たした解約の意思表示が被告に到達した時点で解約の効果は確定的に生じるため、被告は右事実を前提とした対処をすれば被告の主張するような問題は生じない。
3 原告が被告に対して解約返戻金の支払を求めるに当たり、被告は本件保険証券二枚の交付と引換えに支払に応ずる旨の同時履行の抗弁を主張しうるか。
(原告の主張)
消極
(被告の主張)
積極
第三争点に対する判断
一事実関係
右争いのない事実、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
1 (本件貸付け、本件保険契約、本件質権設定及び本件保険契約の解約の経緯)
本件貸付け、本件保険契約、本件質権設定及び本件保険契約の解約の経緯はすべて前記争いのない事実等のとおりであり、和光社は本件保険契約の保険料を原告からの本件貸金で被告に対して一括して契約締結時に払い込んだ。
2 (和光社の経営状況)
和光社は、原告と平成二年四月ころから原告と取引を始め、当初は順調な経営を続けていたが、和光社の大口取引先であり和光社代表取締役である鈴木が役員を務めていた有限会社ライセンスワタナベ(ライセンスワタナベ)が平成三年九月五日付で銀行取引停止処分を受けたことにより、多額の不良債権を抱えることになった(<書証番号略>)。その結果、和光社は、平成四年二月期の決算では債権償却特別勘定に約七八〇〇万円を繰り入れ、約五四〇〇万円の経常損失が生じ、一億円を超える欠損を計上した(<書証番号略>)。
その後和光社は、平成四年九月三〇日には売上債権がなくなり、平成四年一二月二五日をもって北青山三丁目の事務所を閉鎖し、平成五年一月一二日現在では有能な社員も既に退社してしまい、現在見るべき資産はなく右負債を返済する見込みは全く立っていない(<書証番号略>)。
3 (鈴木の資産状態)
鈴木個人も和光社と同様、事実上倒産したライセンスワタナベの保証人となっていたため、同社の債権者から総額三億円にのぼる金銭の支払を請求されており、また原告から借り入れた約五六〇〇万円の金銭(<書証番号略>)の返済の見通しは立っていない。また鈴木は賃貸マンションに居住しており特に見るべき財産もない(<書証番号略>)。
4 (和光社の関連会社の経営状況)
株式会社ミランダは、鈴木及び同人の妻恵子が代表取締役を務め、同女が実質的に経営している会社であるが、同社は平成五年八月五日銀行取引停止処分を受け事実上倒産し(<書証番号略>)、同年九月までには北青山三丁目の事務所の社名の表札が取り外されている(<書証番号略>)。
5 (解約返戻金額)
原告が本件保険契約を解約した平成五年五月二四日当時の解約返戻金の額は、七八四八万五七六五円である(<書証番号略>)。
6 (保険証券の提出の要否)
本件保険契約の約款によると、保険契約者が解約権行使後に解約返戻金を受領するためには、被告に対して保険証券を提出する必要がある(<書証番号略>)。
7 (質権設定契約における解約権の定め)
本件質権設定契約において、質権者である原告に本件保険契約の解約権を付与する旨の条項はない(<書証番号略>)。
二争点1(和光社の無資力)について
右一の2の事実から、和光社は遅くとも平成五年初頭には既に本件貸金債務を支払う資力のないことが認められる。更に右時点以降右一の1ないし3の事実のように、和光社及び鈴木らの資産状況は悪化こそすれ好転している事情はうかがえないので、よって原告が平成五年五月二四日に本件保険契約の解約権を代位行使した時点で、和光社は無資力であったと認められる。
三争点2(原告の債権者代位による解約権の行使の可否)について
1 被告は本件保険契約において、(1)保険契約者以外の者に解約権を認めた規定はなく、本件保険契約は保険契約者の生活保障的な性格を有するため、本件保険契約の解約権は保険契約者の一身専属権であること、(2)本件保険は変額保険であり、無資力要件の判断を誤った場合を想定すると裁判外で解約権の代位行使を認めることは被告に酷に過ぎること等を主な理由として、原告が債権者代位によって本件保険契約を解約することは許されないと主張するので、この点について検討する。
2 (解約権が一身専属権に該当するか否か)
民法四二三条一項ただし書に規定する債務者の一身に専属する権利とは、その権利を行使するかどうかを債務者の意思に任せるべき権利をいうものと解すべきであり、本件保険契約の解約権が和光社の一身専属権に該当するか否かは、本件保険契約の種類、内容及びその締結の経緯等の諸事情を考慮して検討すべきである。
そこで本件保険契約について検討するに、本件保険契約は、前記争いのない事実等3及び右一の1のように、和光社を保険契約者及び死亡保険金受取人、鈴木を被保険者、保険金(給付金)を二口合計一億八六〇〇万円とする一時払変額保険であり、和光社は本件保険締結に当たり、原告から利息年7.9パーセントの約定で借り入れた金一億〇三八八万六五八〇円を、被告に対して二口分の保険料として一括して支払っているものであるから、和光社が本件保険契約を締結した目的は、和光社の代表者である鈴木の死亡により和光社が事業活動に支障をきたす事態に備えて、右損失を専ら経済的に補填することにあると考えられ、さらに原告から利子付きで借り入れた資金を一括して保険料支払に充てた変額保険であることを考慮すると、節税及び資産運用目的であることが推認される。また本件保険契約締結の経緯についても、前記争いのない事実等4のとおり、原告と和光社との間では本件貸付の日である平成二年八月八日に既に、本件貸金を被担保債権として将来契約すべき本件保険契約に基づく保険金支払請求権及び解約返戻金支払請求権に質権を設定する合意がなされているのであり、和光社が本件保険に加入するためには原告から支払保険料の融資を受け、本件保険契約から生ずる権利に原告のため質権を設定することが必須の前提であったことは明らかであるから、和光社が原告に対して本件貸金の返済を怠る場合には、本件保険契約に基づく和光社の受ける利益は右請求権に対する原告の質権に劣後するものであることを当初から和光社も十分承知していたというべきである。
右のような本件保険契約の種類、内容及びその締結の経緯に照らすと、解約権の行使を和光社のみの意思に委ねるべき事情は認められず、右解約権の行使は、債権者代位の対象とならない一身専属権に属すると解することはできず、この点に関する被告の主張は理由がない。
なお、右一の7のとおり、本件質権設定契約において質権者である原告に本件保険契約の解約権を付与した条項は設けられていないが、保険金支払請求権のみでなく解約返戻金支払請求権についても質権を設定していること等の事情を考慮すると、原告が債権者代位による方法を放棄して解約を和光社のみに委ねた趣旨と解することは到底できず、この点に関しても被告の主張は理由がない。
3 (債権者代位を利用することが被告側の事情により否定されるか否か)
争いのない事実等6のように、原告は和光社を代位して裁判外で本件保険契約の解約の意思表示をしているが、被告にとって債務者の無資力の判断が困難というだけで債権者代位制度の利用そのものが否定されるということにはならないし、債権者代位の要件を満たした解約の意思表示が被告に到達した時点で解約の効果は確定的に生じるため、被告は右事実を前提とした対処をするほかなく、右要件の判断の誤りから来る危険性は債権者代位権の制度に伴う通有性と考えるほかないのであり、被告のこの点に関する主張は理由がない。
四争点3(保険証券引換給付の要否)について
本件保険証券は、弁済証明のための弁済証書ではなく、債権の成立を証する債権証書であるので、本来は、弁済と保険証券の交付とは同時履行の関係に立つものではない。しかし、右一の6のように、本件契約の約款によって解約返戻金の支払を受けるためには被告に対して保険証券を提出することが要求されている。しかも争いのない事実等4のとおり、現在原告が質権者として本件保険証券を所持している以上、原告も約款の規定にしたがって権利行使すべきであると解されるので、原告は本件請求の金員の支払を受けるのと引換えに、被告に対して本件保険証券を交付しなければならない。なお、右証券の交付は、本件解約返戻金の支払と引換え給付の関係にあるとはいえ、対価的関係にあるものではないので、争いのない事実等7のとおり被告は履行の請求を受けた時から遅滞の責を免れられない。
五結論
以上によれば、本訴請求は、質権に基づく本件保険契約の解約返戻金として被告に対して本件保険証券二枚を交付することと引換えに金七八四八万五七六五円及びこれに対する解約の日の翌日である平成五年五月二五日から支払済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宮﨑公男 裁判官林圭介 裁判官小田正二)
別紙保険証券目録<省略>